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インドの宗教
概略
インドにはヒンドゥー教や仏教、イスラム教など多彩な宗教が生活に密着しており、宗教大国といえる。人口に占める割合は、ヒンドゥー教徒80.5%、イスラム教徒13.4%、キリスト教徒2.3%、シク教徒1.9%、 仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%と言われている。
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教の源流は、紀元前13世紀頃にインドに侵出してきたアーリア人が先住民を支配する上で形成されたバラモン教といわれている。
バラモン教はインド土着の宗教と融合し、紀元前5~4世紀頃にヒンドゥー教として成立していった。尚、ヒンドゥー教の名称は、イギリス植民地時代にインド土着宗教を総称する言葉として採用され、それが広がったものである。
ヒンドゥー教の概念は、バラモン教から引き継いだカースト制度や経典をもとに、人生の目標をダルマ(法)・アルタ(実利)・カーマ(性愛)の3つとし、輪廻から解脱することを目指している。
ヒンドゥー教は多神教であるが、その中でも、ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァは3大神として人々の信仰が厚い。尚、近世の教義においては、これらの神は三神一体(トリムールティ)といわれ、本来ひとつの神が時と場合により異なる神で現れるとされている。
ブラフマー
創造の神。バラモン教の時代では最高神とされていたが、時代が下るにつれヴィシュヌとシヴァにその座を奪われる。ブラフマーは4つの顔と4つの腕を持ち、水鳥ハンサに乗った男性の姿で表される。
ヴィシュヌ
世界を維持する神。ヴィシュヌは4本の腕を持ち、右手の2本にはチャクラムと呼ばれる円盤と棍棒を、左手の2本にはパンチャジャナ(法螺貝)と蓮華を持つ男性の姿で表される。
シヴァ
破壊の神。シヴァの象徴は男根(リンガ)とされる。シヴァは裸体で表され、その肌は青く、髪の毛は頭上に盛っており、手には三叉戟を持っている姿で表される。
イスラム教
ユダヤ教・キリスト教と同じ系譜の宗教で、唯一神教アラーを信仰する宗教である。
イスラム教は610年頃に預言者ムハンマドがメッカにて神の啓示を受けたとして創始したものである。イスラム教はその後勢力を拡大していったが、指導者カリフの座をめぐって、スンナ派とシーア派に分裂した。
シーア派
シーア・アリーは、カリフの後継者はムハンマドの従兄弟で、娘婿であるアリーとその子孫のみその資格があると主張したことから始まった派閥。
神秘主義で過激的で原理主義といわれるが、シーア派の中の分派でも異なる面がある。
スンナ派
アブー・バクル、ウマル、ウスマーンのアリーに先立つ三人のカリフにも正統カリフとした派閥。イスラム教に於ける最大派閥でもある。
イスラム教では預言者ムハンマドを通して神が下したとされるコーランの教えを最も重要な教典とされている。ユダヤ教やキリスト教と同じ系譜であることから、新・旧約聖書もイスラム教の教典に含まれるが、今日では、ユダヤ教やキリスト教との対立から、これらは改竄と捏造されたものと見られている。
イスラム教の根幹は六信五行からなっているといわれ、偶像崇拝を禁止している。
【六信】
神(アラー)
イスラム教唯一の神で、その姿はく意思のみがある。その為、アラーの偶像はなく、信仰においても偶像崇拝を禁じている。
天使(マラーイカ)
アラーガ創造した神と人間を結びつける中間的な存在。
啓典(クトゥブ)
啓典とはアラーがムハンマドに下した4つの教典
①モーセ五書 ②詩篇 ③福音書 ④コーラン
使徒(ラスール)
預言者と同義語で、神からの啓示を受けそれを伝える役割を持つ人を指す
来世(アーヒラ)
定命(カダル)
全ては神であるアラーによって定められたものであると言う考え。
【五行】
信仰告白(シャハーダ)
「アラー(神)の他に神はなし。ムハンマドはアラーの使徒である。」とアラビア語で唱えること。これを唱えることでイスラム教徒として迎え入れられる。
礼拝(サラー)
1日5回の礼拝。
喜捨(ザカート)
困窮者を助けるための義務的な喜捨を言う。
断食(サウム)
ラマダーンの期間、日出から日没までの間、飲食を断ち、また、喧嘩や口論、淫らなことを思考してはならないとされる。
巡礼(ハッジ)
聖地であるメッカへの巡礼。人生に少なくとも1回は巡礼を義務付けているが、他の4行とは異なり、財力や体力がある者のみが行えばよいとされている。
聖戦(ジハード)
ジハードは五行には含まれないが、信徒の義務のひとつである。ジハードの語源は「努力する」「奮闘する」と言う意味で、戦争を意味するものではないが、コーランにおいて「異教徒との戦い」の意味で使われていることから、後に、非イスラム国家に対する征服・侵略戦争を肯定することにつながっている。尚、ジハードは侵略戦争などの外面に対するものだけでなく、自分の内面に対する悪への戦いのことにもさす言葉である。
インドのイスラム教は人口の13.4%であるが、絶対数で言えば、インドネシア、パキスタンに続く世界第3位のイスラム教国であるといえる。
仏教
仏教はインドで釈迦(ゴータマ・シッダッタ)を開祖とする宗教である。釈迦の生存期間は紀元前463年~前383若しくは前560年~前480年など諸説ある。
仏教は本来、特定の"神"などを信仰する宗教ではなく、自ら悟り(涅槃)を開いて仏陀となることを説いたものである。悟りとは、人が生きることの"苦”から脱し、人間の本能から起こる精神の迷い(煩悩)がなくなった状態となったことを指す。また、悟りを開かない限り輪廻転生を繰り返し、無限に輪廻を繰り返すこととされている。
仏滅後100年経過した頃から、その教えは上座部と大衆部に分裂する。この時期を部派仏教と呼ぶ。仏滅後700年経過した頃には、大乗仏教の教えが説かれるようになた。上座部はスリランカに伝わり南伝仏教とよばれ、大乗仏教は中国・韓国・日本に伝わり北伝仏教とよばれる。
上座部仏教
輪廻を繰り返し生の苦から解脱するためには、仏教の戒律を守り修行することが必要と説く考え
大乗仏教
大乗とはMahā(偉大な)yāna(乗り物)と言う意味で、大衆救済の見地が根底にあり、上座部の考えでは出家して修行をしなければ解脱できないが、大乗仏教では出家していない人でも成仏できると説かれている。
原始仏教は解脱をするための教えであるため特定の神と言う存在はなかったが、時代が下るにつれ、偉大な先人であるブッダが信仰の対象になり、更には、ヒンドゥー教の神や日本の神道の神が仏教に取り込まれていくことになる。
→シヴァ・・・大自在天
→ブラフマー・・・梵天
→天照大神・・・大日如来、十一面観世音菩薩
→八幡神・・・阿弥陀如来、応神天皇 など
インドの仏教は人口の0.8%であるが、ヒンドゥー教のカースト制度の忌避から、アチュート層の人々などが仏教に改宗する動きがある。
ジャイナ教
仏教と同時期にインドで発生した宗教で、ジナ教とも言われる。開祖はマハーヴィーラ(紀元前549年~前477年)で、ブッダと同じ時代に生きた人である。
ジャイナ教の教義は、解脱をすることが目標で、その為、現世での行いが重要となる。
シク教
16世紀にインドで発生した宗教で、スィク教、スィック教、あるいはシーク教とも言われる。開祖はグル・ナーナク。
シク教はヒンドゥー教とイスラム教の思想が取り入られているが、それぞれの宗教の形骸化・形式・儀式的な面を否定し、「聖典に帰れ」と説いている。また、唯一神教を標榜し、神の特定な名称や形はないと説き、そういった意味では、アラーもヴィシュヌも同じ神で、宗教ごとに表現は異なるが神の本質は同じであると説いている。
カースト制度
カースト制度はヒンドゥー教に基づく身分制度である。紀元前13世紀頃にインドに進出したアーリア人(ヨーロッパ人と同じルーツの白色人種系)が、インド(先住民のトラビィ人など有色人種系)を支配する上で、バラモン教の階級制度を取り入れたのがルーツである。
カースト制度では4つの階層がありこの階層を四姓制度(ヴァルナ)と言う。また、特定の伝統的な職業や内婚集団のことをジャーティーと言い、カースト制度の根源とている。
カーストは親から子へ受け継がれ、結婚も同じカースト内で行われる。また、生きている間は上位のカーストへ移ることはできないが、現世の行いで、次の生で上位のカーストに生まれ変わることができるとされている。
ヴァルナは次の4つである。
バラモン
カースト制度の頂点にある階層で、バラモン教やヒンドゥー教の司祭階層をさす。ブラフミンとも言う。
クシャトリヤ
第2の王族・武人階級
ヴァイシャ
第3の庶民階級で、商業や製造業に従事するものとされる。
シュードラ
第4の階層で奴隷民と訳され、人々の嫌がる仕事にしか就けない。
尚、カースト制度の外側にあって、実質最下層の身分として、アチュート(不可触賎民)があり、厳しい差別にあっている。
1950年に制定された現憲法ではカースト制度は全面的に禁止されているが、いまだインド国内に根付いている。しかし、カースト制度が成立した期間に存在しなかった職業は、カースト制度の影響を受けないとされ、その為、IT産業にはカーストを忌避した人が集まってきており、インドにおけるIT産業の発展に繋がっているとされている。
インドの年表
インド | 日本 | |
B.C. | ||
2600年頃 | インダス文明 | 縄文時代 |
1500年頃 | ヴェーダ時代 アーリア人がインド北西部に侵出 | |
13世紀 | バラモン教成立 | |
600年頃 | インド北部に16大国成立 | 弥生時代 |
463年 | ブッダ生誕 | |
317年 | 16大国のひとつマガダ国で王朝交代し、アウリヤ朝建国。 | |
304年頃 | アショカ王生誕 | |
268年頃 | アショカ王即位。その後、インドを初めて統一する。 | |
A.C. | ||
150年頃 | クシャーナ朝が、インド北部に侵出 | |
320年 | チャンドラグプタ1世がグプタ朝を建国。 | |
550年頃 | グプタ朝滅亡。諸勢力割拠のラージプート時代 | |
600年頃 | 南インドでパラッヴァ朝興隆 | |
750年頃 | 東インドにパーラ朝建国 | |
753年 | デカン高原を中心としたラーシュトラクータ朝建国 | 鑑真の来日 |
830年頃 | カジュラホーを首都とするチャンデーラ朝建国 | |
985年 | 南インドにチョーラ朝建国 | |
1192年 | アフガニスタン発祥のゴール朝がインドに侵出 | 源頼朝が征夷大将軍に就任。 |
1206年 | ゴール朝のアイバクがデリーに都を置くマムルーク朝(奴隷王朝)を建国する。 | |
1336年 | 南インドにヴィジャヤナガル王国が建国 | |
1469年 | シク教の開祖ナーナク誕生 | |
1498年 | ヴァスコ・ダ・ガマがインド南部に来航 | |
1526年 | バーブルがムガル帝国を建国 | |
1600年 | イギリスが東インド会社を設立 | 関ヶ原の戦い |
1628年 | シャー・ジャハーン即位 | |
1653年 | タージ・マハル完成 | |
1661年 | ボンベイ(ムンバイ)が、ポルトガルからイギリスに譲渡 | |
1690年 | イギリスがカルカッタ(コルカタ)に商館を設立 | |
1757年 | プラッシーの戦い.この後、植民地化が進む | |
1857年 | セポイの反乱 | |
1858年 | ムガル帝国滅亡。 | |
1877年 | イギリスのヴィクトリア女王はインド皇帝に就任。 | 西南戦争 |
1885年 | 第1回インド国民会議開催 | 内閣制度発足 |
1911年 | 首都をデリーに移転 | 普通選挙法成立 |
1913年 | 詩人タゴールがノーベル賞を受賞 | |
1919年 | マハートマー・ガンジーが不服従運動を開始 | |
1947年 | パキスタンが分離独立 | |
1948年 | ガンジーが暗殺される | |
1950年 | 憲法が発布され、共和制が始まる | 警察予備隊発足 |
1962年 | 中国と国境紛争が起こる | 国産旅客機のYS-11が完成 |
1973年 | 第3次インド・パキスタン戦争。バングラデシュ独立 | |
1974年 | 核実験を実施 |